総選挙

えー、これは、、語ると24時間越えますw
なのでシンプルに。
党首討論24/7 daysでやってほしいぐらいだったのですが、
とりあえずは、自民党 | 民主党 | 公明党 | 共産党 | 社民党 | 国民新党 | 新党大地はやめとけってぐらいしかw
もう、どれもこれも、悪すぎです。
創価学会公明党が一番とも言える巨悪の根源なのはともかく、どいつもこいつもほんっとひどい。
長銀リップルウッドに売った事を、彷彿とさせるリーマンブラザーズに日本の財産を売って大もうけした堀江とか、一部の富豪と外資にお金を流し、日本の政府としての借金を200兆円も増やした小泉は何をしてきたと言えるのでしょう。郵政民営化って言い方するなら、ちゃんと民の事を考え、日本国債の借金の返済に使うとか、価値よりも高く売るようにするべきだが、そこは明記せず。日本国民が買えるわけじゃないんだから、国の持つ最後の資産を外資に安売りして甘い汁を吸いたいですってマニフェストに書け。
これで投票に行かないような非国民は、一人当たり600万の日本の借金がもっと増えてもいいんですね?

最高裁裁判官 国民審査。良く分からないなら、全部×で。

この形骸化している制度だけども、一労働者、一国民としての立場から見て、
せめて権力や組織との癒着があまりに大きいと思われる裁判官だけでも×を増やして、
ちゃんと審査して欲しいと思います。
デフォルトの状態、白紙で出すと、信任して評価していることになってしまうんだけど、まず最高裁裁判官が選ばれる段階からして、弁護士からなどの民間出身が少なく、行政官とかキャリア裁判官など政治と密着した人ばかり選ばれるようになってきているので、政府よりの判決ばかり出るようになってきています。
慶応法学部卒業の知り合いも、全部×をつけるべきだと毎回主張してるんだけど、どうしても×を全部つけられない。そんな心優しい貴方にも×を個人的につけて欲しい人をピックアップしてみました。


  • 今井 功氏

例えば。。
時事通信の記者が1ヶ月連続の夏休み申請をしたのを15日間分時期変更を命じたことを適法とし記者を敗訴させた判決


労働者にも人の介護に休暇が必要な時や、仕事の引き出しを増やすための充電期間が必要だったり、たまにはリフレッシュする必要だってあるので、このような判決を出すのはおかしい。

  • 才口 千晴氏

例えば。。
原子炉「もんじゅ」の安全性をめぐる訴訟で、国の設置許可を無効とした高裁判決を破棄し、安全審査は適法として住民側を逆転敗訴させた判決に関与。


え?原子力無いとやってけないって?それ、洗脳されすぎです。火力発電だけじゃないんだから。原子力に頼らないクリーンな発電方法でも必要電力は作れることは証明されています。それに、この高速増殖炉の発想にお金を無駄遣いしすぎです。他の国が開発過程でさまざまな問題に直面し、諦めているのに、メルトダウンで原爆以上の被害を出した時にはニュースを目にするころには被爆して死んでます。簡単に言いすぎで、誤解を招きそうなので、他のページとかも見てください。
高速増殖炉「もんじゅ」が抱える問題点



要は、最高裁までいくと、そこまでいい判決だったのに、権力よりの判決になることが多い現状のシステムは、過去に比べて確実に悪化しているということ。
迷ったら、全部×つけて大ジョブです。最高裁の裁判官辞めさせられても充分食べていける癒着持ってる人達なので。

教科書問題について2(情報補足・・・「つくる会」があるべき姿)

そもそも、「つくる会」は、右翼の政治家のためだけに教科書を作るためではなかったし、「つくる会」のメンバーを揃える事が出来れば、このような偏った教科書になったとは考えられない。今はとっくに「つくる会」から抜けた人々が目指したものの一つは、
「自虐的歴史観からの脱却」であり、
それこそ、私も求めるものである。
私が求めるものは、決して、右翼的なスタンスでの政治家、支配者意識の目線から見た、自虐からの脱却というものではなく、
「自虐的歴史観からの「根拠ある」脱却」である。
日本という国は、非常に諸外国からの攻撃に弱い国である。
謝罪してないという言いがかり、賠償していないという言いがかり、
ちゃんと根拠を持って反論が出来るようにするべきものである。
(もちろん、日本の独りよがりの発言を求めているわけではない。公的な立場での意見でなければいけないわけで、よく石原氏が言い過ぎてしまうような差別発言を使うのであればそれはそれだけ日本を貶めているようなものだ。)
歴史の教育が、細かい幕府の年号や、その家族の人名の記憶力ゲームであっていいはずもなく、諸外国の学生と同じく、プレゼン、ディベートのできる学生としてあるべきであると思う。
教科書というのは、あくまでガイドラインであり、ガイドラインとしても殆ど使わない教師も居る。かといって何をするかといえば、自習であったり、受験対策であったりする。
ただ、中には教科書を読んだ事がある人も居るだろう。
歴史の年号は頭に入らなくても、この戦争はこうして起こったってことは、覚えてたりする。アヘン戦争の由来や、アテネとスパルタの戦いや、米国が核支配のための実験に広島や長崎、そして罪のない小部族を実験体としたビキニ環礁とエニウェトク環礁で行われた67
回に及ぶ核実験、日本国満州支配後の逆襲、などなど、歴史にて学ぶことはたくさんある。
米国に守られているから、感謝すべきだというアメリカの洗脳に従う政治家なんて、どういう根拠をもってそういう考えに至ったのか、1から説明して欲しい。
アメリカが、ロシアに対して、中国にたいして、そしてアジア諸国に対して、最前線の基地を作るのに丁度いい土地が、縦に長く包囲網として使える場所にあったからというだけの理由で基地を作り、そしてその練習や、日本が受けた被害については何も言えない事について、何を感謝すればいいというのか。あまりに沖縄の人たちに失礼だなと思ってしまう。
日本が軍事にお金を使わないで発展できたのは、そのおかげだと言うのは、物事の一面であり、隷属的に軍事についてもアメリカに幾らお金を支払ってきたかを考える余裕があれば嬉しい。
日本の今の国債の額、決して返せない日本政府の借金の一面を担っていることも、そしてそれが大増税という形で、来年から「主権を持っているらしい政治家」に収めることになることは、考えるまでも無く、押し寄せてきます。

教科書問題について2(「つくる会」反対の視点から)

そもそも、公平な歴史観から見た日本を悪にも神にもしない教科書を採用しなければ、韓国や中国の腐りきった教科書を批判することができるという立場を失ってしまう。
そういう意味で今回の教科書のバージョンについては、私は反対という立場を取っている。
どうも、マスコミは「つくる会」の立場に立った展開(反対している人の頭がおかしく見える)をしているように思えるので、あえて反対してみよう。





中学生が教科書から逐一あたら指揮を学ぶというように勉強しているとは考えにくいが、教師が手引書として用いる文章に曖昧な解釈が幾らでも付け加わりうる表現があることには問題がある。教師の手に「委ね」られ、その度に解釈を展げ提示することは正しいことか?そういった曖昧さこそが、一貫した(歴史)観の下に編纂され記述された書を使用すべきという理念に反する。

国民主権とは主権在民といわれる[・・・]この国民とは私たち一人ひとりのことではなく、国民全体をさすものとされている」(「つくる会」公民教科書)に対し、国民全体の代表としての議員という考え方は、貴族政治の是認であり、民主主義とは相容れないことになると、教師は解釈を加えねばならないのか。では何故そもそも一貫した観についての合意が成されていないままにその教科書を採用する必要があるのか。それが不明である。

「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への夢と勇気を育んだ」という記述を読んだことにより、戦争の栄光に酔いしれ、憧れをもつといった小中学生は確かに居るわけではないだろう。

それよりも遥かに大きな、メディアの力がそう思わせるに至ることはあっても、*1(また実際、確かに大東亜共栄圏は言葉としてのみではなく、アジア代表者の合意の下で掲げた理想であるが故、上記鍵括弧内の記述が完全に無根のものであると斥ける事はできない。更に、米国に加えられた石油制裁(多々あるが、ABCD包囲網など。)による重大な食料欠乏から戦争を余儀なくせられたことは疑いようのない事実である)

しかし、子供の考えを形成するのは、「親や教師の考え態度次第」と言って、教科書自体は如何なる携帯であろうと構わないとするのは横暴であり、[一貫した考えを提示することのできる態度を保つ]親や教師が存在するという保証はどこにあるのだろう。元来自習的読物として教科書を考えれば、まともな記述のされたものが悪影響よりは良い影響を持つと考えることは自然である。


*1:それ故、この都革新の訴え(方)が過剰であるように見えるかもしれない。ただ、「子供たちを守ろう」というのは一種の話法であり、現在にとどまらず未来に向けて、といった程度の意味であると思われる

教科書問題について1(杉並区反対の意味)

比較的住民活動が盛んな杉並区で採択されることで、その後の全国支持が容易になる。
(子供虐待するような、エホバの会的なことをするのは、私も反対。
ただ、今回の反対団体の主要メンバーは共産党や宗教などと関わっていません。)