教科書問題について2(情報補足・・・「つくる会」があるべき姿)

そもそも、「つくる会」は、右翼の政治家のためだけに教科書を作るためではなかったし、「つくる会」のメンバーを揃える事が出来れば、このような偏った教科書になったとは考えられない。今はとっくに「つくる会」から抜けた人々が目指したものの一つは、
「自虐的歴史観からの脱却」であり、
それこそ、私も求めるものである。
私が求めるものは、決して、右翼的なスタンスでの政治家、支配者意識の目線から見た、自虐からの脱却というものではなく、
「自虐的歴史観からの「根拠ある」脱却」である。
日本という国は、非常に諸外国からの攻撃に弱い国である。
謝罪してないという言いがかり、賠償していないという言いがかり、
ちゃんと根拠を持って反論が出来るようにするべきものである。
(もちろん、日本の独りよがりの発言を求めているわけではない。公的な立場での意見でなければいけないわけで、よく石原氏が言い過ぎてしまうような差別発言を使うのであればそれはそれだけ日本を貶めているようなものだ。)
歴史の教育が、細かい幕府の年号や、その家族の人名の記憶力ゲームであっていいはずもなく、諸外国の学生と同じく、プレゼン、ディベートのできる学生としてあるべきであると思う。
教科書というのは、あくまでガイドラインであり、ガイドラインとしても殆ど使わない教師も居る。かといって何をするかといえば、自習であったり、受験対策であったりする。
ただ、中には教科書を読んだ事がある人も居るだろう。
歴史の年号は頭に入らなくても、この戦争はこうして起こったってことは、覚えてたりする。アヘン戦争の由来や、アテネとスパルタの戦いや、米国が核支配のための実験に広島や長崎、そして罪のない小部族を実験体としたビキニ環礁とエニウェトク環礁で行われた67
回に及ぶ核実験、日本国満州支配後の逆襲、などなど、歴史にて学ぶことはたくさんある。
米国に守られているから、感謝すべきだというアメリカの洗脳に従う政治家なんて、どういう根拠をもってそういう考えに至ったのか、1から説明して欲しい。
アメリカが、ロシアに対して、中国にたいして、そしてアジア諸国に対して、最前線の基地を作るのに丁度いい土地が、縦に長く包囲網として使える場所にあったからというだけの理由で基地を作り、そしてその練習や、日本が受けた被害については何も言えない事について、何を感謝すればいいというのか。あまりに沖縄の人たちに失礼だなと思ってしまう。
日本が軍事にお金を使わないで発展できたのは、そのおかげだと言うのは、物事の一面であり、隷属的に軍事についてもアメリカに幾らお金を支払ってきたかを考える余裕があれば嬉しい。
日本の今の国債の額、決して返せない日本政府の借金の一面を担っていることも、そしてそれが大増税という形で、来年から「主権を持っているらしい政治家」に収めることになることは、考えるまでも無く、押し寄せてきます。