Shall we dance?シャル・ウィ・ダンス?(2004年10月15日) vs Shall we ダンス?(1996年)(⊃ネタバレ)

明日でShall we dance? アメリカ版が日本公開ですね。
なんか結構日本公開に気合を入れているようで、
試写会もいっぱいありましたので、ここで感想を。


まぁネタバレなので、映画をもしまだ見てなかったら、読まないで。
登場人物の数だけ、その人自身のストーリーがあるのだけど、日本版と比較してみよう。
1、主人公の職場のダンス仲間。
 -日本版では、竹中直人が最後の方で職場の人間に馬鹿にされてるのを、役所広司が、社交ダンスを悪く言うなと庇い、竹中直人が隠れて聞いていてその役所広司の社交ダンスへの情熱と、仲間を評価する気持ちを感じ取るような、暗黙知的な表現にとどまっているのに対し、
 -アメリカ版では、竹中直人役(Stanley Tucci)が、その場に出てきて主張してくる。アメリカナイズされているところだ。他のダンス仲間はここでは略w あ、太ったダンス仲間のストーリーも、アメリカ版の方が凝ってたし良かったな。まぁリメイクだから、当たり前。
2、ヒロイン役
 -アメリカ版での、草刈民代役(Jennifer Lopez as Paulina)の方のストーリーでは、お互いへの期待が大きすぎて、二人の共同作業が上手くいかなかったら、全てを失ってしまい、逃げてきてしまったのだけど、ダンスそのものを楽しむことを見つけ、そこから立ち直る過程って感じで描いてた。
 -日本語版では、もっと詳しく描いていた。草刈民代が小さい頃憧れた、ダンスの美しいカップル。倒れたときも、女性を庇って倒れた。そんな二人の素晴らしさを見て、ダンサーになるのだけど、実際にブラックプールまで出て倒れたとき、パートナーの男性が庇ってくれなかった。パートナーを責める草刈民代。しかし、彼は、「パートナーを解消しよう」と言う。「このブラックプールに出て、成功しても失敗しても、パートナーを解消しようと思っていた」と。その後、他の技術の優秀な男性と組ませてくれない父。納得が行かない草刈民代。最高峰の大会に出ることばかりを目標とし、リーダーである男性に合わせることなく、自分の技術を見せるためだけに集中し、相手を振り回していたんだと、後に気づく。そしてダンスそのものを楽しむことなどはアメリカ版と同じ。
3、主人公と、その奥さんの関係
 -日本版での役所広司とその奥さんの関係においては、日本的な暗黙知の基盤が無いと理解できないであろう。
 -よって、アメリカ版、Richard Gere as John clarkの方のストーリーでは、奥さんが献身的な所が強調されているし、Richardも奥さんに対して思いやりを表現している。

"The one thing I am proudest of in my whole life, is that you are happy with me. If I couldn't tell you that I wasn't happy sometimes, it was because I don't want to risk hunting the one person who I treasure most... I am so sorry."

男のエゴもあるけども、この台詞は良かった。完璧にしようと既に頑張っている奥さんに、それ以上はとても言えないから、「自分はこれ以上は何も要らない、満たされているから」と言う生活をしていたからこその、苦悩を上手に伝える、とても思いやりのある言葉で、共感した。
人から見たら幸せな生活でも、何か人生を楽しむために足りないと感じることがある。そういう刺激を求めるものだと簡単にこの映画のことを言う人もいるかもしれないが、相手が興味を持った新たなことにも二人で挑戦できるような柔軟性を常に持ち続けていたいと思う。決してプロになるほどの努力をしなくていい、でも新たな事に挑戦することが、二人が楽しく生きていくために必要だと思う。


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Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?@映画の森てんこ森